綾町散策シリーズ(その2)| 「綾城」へ

雑記

綾町散策シリーズ」の第2回目は、綾城を紹介しよう(前回は以下を参照)。

綾城は、昭和60年に実施された日本城郭協会の時代考証により戦国初期城楼建造物として構築された山城で、綾町産の木材(ツガがメイン)を用いて建てられたものだ。

城内には歴史資料などが多数展示されていて、最上階からの展望は絶景!!!。

また、敷地内には織物や陶芸の体験ができる「綾国際クラフトの城」も併設されている(別途紹介の予定)。

 

今回は、コロナ過と言うこともあり、他の観光客は殆ど見られずゆっくりと堪能することができた(…..と言っても「綾手づくりほんものセンター」は満員御礼だったが)。

…..と言うことで、早速紹介しよう。

基本情報

場所 宮崎県東諸県郡綾町北俣1012(←Google mapが開きます)

アクセス ①:宮崎中心街から県道17号線に入り、「綾手づくりほんものセンター」手前の信号を右折し、100メートルほど走ると案内板が見えてくる。②バス:南宮崎駅から約60分、綾待合所バス停下車から約徒歩10分。

駐車場 お城から少し離れたところにある。以下の写真の様に、200台くらいは停められそう。

電話 0985-77-1223

公開時間  4月~9月 9:00~17:30、10月~3月 9:00~17:00

定休日 無休

入場料 大人350円、高校生300円、子供250円(小中学生を含む)。 大人から子供までいずれも団体15名以上は入場料100円引き(「綾国際クラフトの城」も含む)。

「綾城」のあらまし

綾城は別名「龍尾城」とも呼ばれる。そのはじまりは、今からおよそ660年前の元弘年間(1331年~1334年)足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命ぜられ、その子義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構え、綾氏と称したと考えられている。
綾氏は数代城主としてこの地方を治めていたが、室町時代八代将軍義政のころ、都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となった。したがって、綾城も伊東氏48城の一つとなり島津氏と戦う伊東方の重要な役割を果たした様だ。
その後、江戸時代の一国一城制度により廃止されるまでの270余年、綾城は日向の国の山城のまもりとしての役割を果たした(以上、綾町のHPより抜粋)。

 

以下、写真で紹介しよう。

写真で紹介

入り口まで

駐車場から歩道橋「龍尾橋」を渡る。

100メートルほど歩くと門が見えてきて(写真左)、そこをくぐると直ぐ右手に料金所がある(写真右)。

案内に沿って歩いていくと、数分で綾城に到着(写真右)。

下から見上げるとこんな感じだ。建物の概要は、以下のとおり。

  • 地上高:19m
  • 構造:縦20m、横24mの石垣を土台にした木造2層、建物見やぐら付
  • 面積:1階 216㎡、2階 192㎡、物見やぐら 24.89㎡

…..さあ入ってみよう。

1階

エントランスで太い柱が迎えてくれる。材料は、樹齢280年の綾町産ツガ(マツ科)で、なんと75センチ角の特大サイズだ。

ココは、綾町を中心とした歴史資料館になっていて…..

甲冑、刀剣、古文書、綾の歴史(VTR)、綾式土器、尾立遺跡などが展示されている。

2階

ココには日本一の刀鍛治といわれた田中国廣の刀が展示されていて…..

刀鍛治工房の様子も展示されている。

上の場面のセットは、以下のシーンを再現している。

都於郡城主、三位入道義祐は、野尻城主などの謀反により島津に追われる身となり、天正5年豊後に落ち延びた。綾城主、佐土原遠江守は、義祐を城内に迎え入れ、田中国広とともに島津の追手から身を守る算段をととのえ、その策を義祐に進言する(※展示物に記載)。

3階

3階までは、急な傾斜の階段を登って行く。

当時の構造形式が分かって、大変興味深い。

3階に到着。外に出てみよう。

東方向。綾市街が一望できる。絶景だ!!

西方向。錦原運動公園が見える。

南方向。右手に「綾国際クラフトの城」(工芸館)が顔をのぞかせる。

北方向。遠くに綾北川が見える。

おわりに

今回は、「綾城」を紹介した。ココは、周辺施設も含め綾の歴史の宝庫であり、綾町HPの言葉を借りれば「蘇った660年の歴史の夢」を垣間見ることが出来る貴重な観光スポットだ。

歴史好きには、たまらない場所だろう。

ちなみに、「綾手づくりほんものセンター」で購入したお弁当は、料金所から入って直ぐの「お休み処」で頂いた。

 

…..ではでは、次回をお楽しみに。

 

おわり

 

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