灼熱のなか「飫肥城」にいってきた。

旅行

梅雨明け宣言以降、暑いを通り越して、灼熱の日々が続いている。

 

ボクは、暑いのはそんなに嫌いではない。

だって、汗をかいた後の

の味が最高だから。

…..単純な性格である。

……と言うことで、昨日は、ボクの生まれ故郷、日南市飫肥にある「飫肥城」と周辺施設を散策してきた。

概要

飫肥城下町

飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところ。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

昭和53年に復元された大手門を中心に、松尾の丸藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館がある。また、 商人町通りには樽を店頭に置いた商家や、格子に壁燈籠、番傘を飾った商家が軒を連ね、町を流れる堀割の清流など、江戸時代を彷彿とさせる町並みが楽しめる。(以上、日南市観光協会より)

場所とアクセス

場所 〒889-2535  宮崎県日南市飫肥大手(←Googleマップが開きます)

電話 0987-25-4533

アクセス


  • 宮崎市自動車道「宮崎IC」~国道220号線経由~飫肥 約1時間
    宮崎市自動車道「田野IC」~県道日南高岡線経由~飫肥 約35分
    福岡~田野IC~飫肥 約4時間30分(九州高速道使用)
    鹿児島~(加治木・都城経由、東九州自動車道使用)~日南IC~飫肥 約2時間40分
  • 路線バス(宮崎交通)
    宮崎空港~油津 約90分
    油津~飫肥(日南市内路線バス) 約15分
  • JR
    宮崎~飫肥(日南線)約70分
    宮崎空港よりJR日南線で約1時間、飫肥駅から徒歩15分

駐車場

大手門のすぐ近くに「飫肥城観光駐車場」があり、140台(身障者専用:4台)のスペースがある。駐車料金は無料。

飫肥城散策コース

周辺マップ

以下に、周辺マップを示す。

赤で示されるコースが基本だろうが、時間が許せば緑で示されるコースも回りたい。

お昼を挟んで回れば1日でゆっくり堪能できると思う。

※宮崎県日南市観光・スポーツ課パンフレットより

「飫肥城通行手形」で効率よく回る

ボクらは、上の通行手形を使った。お安い値段で効率よく回りたい方にはおすすめだ。

上の写真(飫肥城通行手形)に示す7つの施設を以下の料金で回ることが出来る(個々の料金は210円なので、3施設以上回ればお得になる計算だ)。

「飫肥城通行手形」(入館共通券)
大人620円、高・大学生460円、小・中学生360円



今日の散策

さて、今回も、散策コースを写真で振り返ってみたい。

今日のコースは、以下のとおりだ(「飫肥城通行手形」で4施設を回った)。

飫肥城観光駐車場 ~ 大手門 ~ 松尾の丸 ~ 飫肥城歴史資料館 ~ 豫章館(よしょうかん)~国際交流センター小村記念館 ~ 飫肥城観光駐車場

では、出発!!

 

飫肥城観光駐車場~大手門~松尾の丸へ 

駐車場から、大手門通りに入った。誰もいない。金曜日だから?コロナのせい?

飫肥城の大手門、樹齢100年以上の飫肥杉を4本使い、昭和53年(1978)7月に復元されたそうだ。ここから入って行く。

大手門から続く堀。大手口~横馬場のライン沿いに東へ続く方向を撮影した。水のない空堀となっている。

門を入って行くと、多くの穴の空いた壁がある。敵を攻撃するための挟間(さま)と呼ばれるものだ。

大手門から松尾の丸まで、随所にスギの木立が並んでいる。

松尾の丸に向かう途中、階段の向こうに大きな4本のスギの木が…..

中央の立札には「しあわせスギ」と書いてある。4本のスギの対角線の中心に立つと幸せのパワーをもらえるらしい。

 

中心に立ったんだから、ちゃんとパワーくれよ!!

 

……恫喝?

松尾の丸

飫肥城復元事業により、昭和54年(1979)に、江戸時代初期の書院造りの御殿として、在来工法を使用して建設された。建物は延床面積800.02m2で、御座の間、御寝所、涼櫓、茶室など20室以上の部屋がある。

入口横に2つの甲冑が並んでいる。左が荒武家、右が都甲家の甲冑だ。

飫肥藩の川御座船の模型がおいてあった。スケールは1/4。西日本の諸大名は、大坂に川御座船を置き、参勤交代で大坂と伏見の間を淀川の水運を利用して移動したらしい。

御座の間。お殿様気分を味わえる様に、写真撮影が奨励されている。

回廊。この雰囲気、なにか原風景を思い出しそうだ。ボクの前世は殿様だったのかも?

畳の間が連なっている。

浴室、真ん中が少し、低くなっている。

回廊を回って、対面する棟へ行ってみる。

御寝所」。お殿様の寝室か?

向こうから、酒谷川のせせらぎの音が聞こえる。

長局(ながつぼね)。長い一棟(むね)の建物をいくつにも仕切った奥方?の部屋らしい。

京都西本願寺飛雲閣の蒸し風呂が、実物大で複製されている。この時代にミストサウナがあったとは(ビールはなかった???)。

ここでミストのお湯を沸かす様だ。

飫肥城歴史資料館

松尾の丸を降りると、すぐに飫肥城歴史資料館がある。飫肥藩ゆかりの歴史的資料220点が展示されている。

残念ながら、中は撮影禁止だった。展示品は、初代藩主の伊藤祐兵(すけたけ)や山田匡得の甲冑や刀剣等の合戦時代のものが多い。昭和57年に伊東家から市へ寄贈されたらしい。

豫章館(よしょうかん)

大手門から出てすぐ右の「豫章館」に入る。昭和57年に伊東家から市へ寄贈されたらしい。

門から建物までが結構長い。50メートルくらいか?

伊東家の家臣伊東主水(もんど)(御三家)の屋敷だったが、明治2年、飫肥第14代藩主伊東祐帰(すけより)が飫肥藩知事に任命されて移り住んだとのこと(復元ではなく実物)。

南側の庭園は、規模と手入れの良さで九州でも有数のものらしい。

主家は明治元年につくられた。飫肥藩の典型的な武家屋敷で、邸内にあった樹齢数百年の大楠にちなんで豫章館と名付けられたそうだ。

畳敷きの和室が数室連なっている。縁側からの庭園の眺めが最高だ。また、その下には、飫肥城下町が望める。

なんでこんなにも長いのか?コンビニ行くのがめんどうだっだろうなぁ^ ^。

国際交流センター小村記念館

最後に「国際交流センター小村記念館」に入る。小村寿太郎没後80年に開設された記念館だ。

館内は、小村寿太郎侯の生い立ちや外交の舞台での活躍ぶりを展示物や資料、ビデオにより紹介している。

1901年、桂内閣の外務大臣となり、1905年、日露戦争後の講和会議に日本の全権代表として出席し、ポーツマス条約を結んだ。絵は、その光景を示している。

小村寿太郎候の生い立ちに関する資料がたくさん置かれている。

この一分訓話は有名だ。
1906(明治39)年ポーツマス平和条約を締結し、大役を果たした寿太郎は、帰国後県立宮崎中(現・宮崎大宮高校)で講演を行う。その時、寿太郎の講演はたった1分だったそうだ。
諸君は正直であれ。正直と言うことは何より大切である
諭すようにこれだけを話すと、寿太郎は演壇を降りる。大国との会議の様子など、雄弁な語りを期待した生徒たちに対して、この短いスピーチは強い印象を残し、後の人生に大きな影響を与えた。川越茂氏もその一人だったようだ。

おわりに

ボクは、飫肥城とその城下町を散策するのが大好きだ。

すごく心が落ち着くし、何とも懐かしい気持ちになることがある。

 

大手門から、わずか300メートル先の酒谷川沿いの民家で生まれ、3歳までそこで過ごしたので、そのためかも知れない。

 

今回の散策は、2時間程度しか時間がなかったので、見どころの半分くらいで終わってしまった。時間があれば、商家資料館や旧藩校「振徳堂」なども、オススメだ。

宮崎市内から車で60分程度と少し距離があるが、コースによっては、日南海岸の絶景を堪能しながら行けるので、そんなに遠くは感じないと思う。

 

日ごろのストレス解消に、家族サービスに足を運んではいかがだろうか?

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