飫肥には思い入れがある。
自分が生まれたのが飫肥城下町だからか、この付近を散策するのは本当に楽しい。そして、とても落ち着く。
歩いているだけで原風景に出会うような瞬間があり、デジャビュにハッとしたりもする。(オビスギ関連の研究をしているのも、何か運命的なものを感じたりする。)
……と言うことで、今回から時々、気の向くままに飫肥城下町の記事を綴ってみたい。
なお、良く知られている「松尾の丸」、「小村記念館」、「飫肥城歴史資料館」は以前の記事で紹介しているので、ここでは、全国的にあまり知られていない場所に焦点を当ててみよう。

1回目は、「旧藩校振徳堂」だ(2020年12月11日に訪問)。
概要
「藩校振徳堂」は、1831(天保2) 年、第13代飫肥藩主・伊東祐相(すけとも)により創建された藩校である(孟子の一部から命名されたものらしい)。安井滄洲が総裁兼教授、息子の安井息軒が助教に任命され、一家で飫肥城下に移住して教鞭を振るった。明治維新の英傑・小倉処平(しょへい)や、明治の外交官・小村寿太郎も、ここで学んでいる。
なお、この建物は、昭和51年に飫肥城復元事業の第1号として、市民の基金により修築・復元されたものである。
訪問に必要な情報
①場所 日南市飫肥10丁目2番1 (←Google マップが開きます)
②問い合わせ先 0987-25-4533(飫肥城下町保存会)
③時間 9:30~16:30
④休業日 12月29・30・31日
⑤入館(場)料 無料
⑥アクセス 大手門から右へ、徒歩約10分
写真で紹介
では、早速写真でご紹介しよう。
「旧藩校振徳堂」の建物配置。東側と西側は飫肥石で積んだ石垣で囲まれ、長屋門と母屋が現存する。かつては講堂、寮(西、東)、武芸所などを構えていた様だ。
長屋門。中はかなり広々としていてびっくり。大変綺麗に整備されている。
長屋門をくぐりぬけると正面に母屋が迎えてくれる。なんとも壮観だ。
母屋の右側に説明板があった。サイト情報よりも詳しく書かれている様だ。
素読の間(母屋右側の部屋)。テレビドラマなどで良く見る光景が浮かんでくる。長机は新調したばかりの様で、オビスギの1枚板で作られている。
かつて武芸所があった場所に、明治維新の英傑・小倉処平(しょへい)の石碑があった。
小倉処平(しょへい)は、威風堂々として徳が高く、「飫肥西郷」とも称された傑物だった。明治の外交官・小村寿太郎に多大な影響を与えたが、若干32歳で西南戦争に殉じている。「藩校振徳堂」では句読師(くとうし)(読み書きを教える人)、寮舎長に選ばれたとの記録が残っている。
おわりに
飫肥の街は、昔ながらの佇まいを維持しつつ、しっかりと整備されている。
城下町らしい落ち着いた雰囲気の中に、明治維新当時を思わせる古い木造建築物があちこちに散見されて、歩いていて本当に楽しい。
歴史を楽しみながら散策を楽しむには最高のスポットだと思う。
次回もあまり知られていない場所を紹介しつつ、飫肥の魅力に触れて行きたい。
おわり
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